高句麗壁画古墳群 (コウクリヘキガコフングン)
-国際関係 -2004年8月28日 |
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| 高句麗は紀元前1世紀ごろ、現在の中国遼寧省垣仁県に最初に都を置いたことが「三国史記」(朝鮮最古の歴史書)に記されている。3世紀に現在の中国吉林省の集安に国内城という都をつくり、427年に平壤に遷都、668年に唐と新羅の連合軍によって滅亡させられるまで平壤は高句麗の都として栄えた。高句麗の古墳は壁画古墳として有名だが、この壁画古墳が登場するのは4世紀中ごろである。最初期の壁画古墳は安岳3号墳で大きさは1辺33メートル、高さ6メートルの方墳。羨道、羨室、前室、後室が直線的に並び、南に入り口があり、壁面には四神や人物の画像が色彩豊かに描かれている。平壌と南浦市、黄海南道の安岳郡一帯には、こうした壁画古墳90基が発見され、発掘調査が行われた。2004年7月、中国蘇州市で開かれたユネスコ(国連教育科学文化機関)の第28回世界遺産委員会は、北朝鮮から申請のあった「高句麗古墳群」を世界遺産に登録。北朝鮮国境に近い中国吉林省や遼寧省にも同種の古墳群が点在しており、中国側は以前からこの古墳群を「高句麗の首都都市群、墳墓群」として世界遺産への登録を検討していた。今回、中国の申請も認められ、両者の個別の登録が決まった。諮問機関の国際記念物遺跡会議(イコモス)は、将来両国が共同登録するように提言し、中国は共同登録を検討するとコメントしている。 |
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